2011年 11月 02日
巳亦敬一さん デザートカップ 台つき鉢
陪審員の有罪派の中には さっさと終わらせて 野球観戦に行きたい者もあれば
スラムの少年の偏見に満ちた者もいる。そんな人達を 建築家は忍耐強く説得していく。
「 少年がシロと言い張るつもりはないが 有罪とする証明には不備がある。」
建築家は 不備な点を突き 再現で検証しつつ じわじわと無罪派を増やしていき・・。

少し長いですが 解説の一部をそのまま写してみます。
「 不備があると言う理由で 真犯人とおぼしき人物を野放しにしていいのか? 」
と 言う側面を持ちながらも・・
オールドファンのほとんど全ては この映画を
「 陪審員制度のひずみを深くえぐった社会派映画 」と定義づけている。
確かに 『 12人の怒れる男 』 にはそういう側面がある。
父親殺しの容疑者を 「 スラムのガキ 」 と呼び
「 あのクズどもが無罪なはずはない 」 とわめきたてる
町工場のオヤジ、大リーグの野球見たさに「 さっさと有罪にしちまおう 」 と主張するセールスマン ・・・ 中略 ・・・
そういう連中が 好き勝手に騒いでいるのを見るに付け
ドしろうとに法の運営を任せるのも考えもの、という気がしてくる。
だが この映画の真の目的は、「 陪審員制度 」 の批判にあるのではない。
じつは この映画は アメリカ民主主義がもたらす正義という 「 アメリカの神話 」 を
謳い上げた映画なのだ。
その神話は ヘンリー・ファンダ が演ずる建築家によって実現される。
陪審員制度では 12対0をもって評決となる。
くだんの建築家は 「 有罪 」 11に対して たった一人で 「 無罪 」 の立場を取り
揺るがぬ熱意と誠実さによって 対する11人を説得していくのだ。
このモチーフは 「 アメリカ民主主義の自浄力 」 と 「 名もない普通の人々によって営まれる民主主義の最終的勝利 」 をたたえたものにほかならない。・・・ 後略
私達の暮らしに置き換えれば
熱意と誠実さと見識を持つ人がいて ( を選んで ) その審議を見極めようと 真摯に聴いて ちゃんと考えていけば自浄力は発揮できる。
そんなことを考えさせられた解説でした。


白熱した討論をすると 頭が熱くなりがち。そんな時は 冷たいものを頂いて 冷静さを取り戻しましょう。。
北海道のガラス作家 巳亦敬一さんから ガラス鉢が届きました。
大人の可愛らしさ。そんな雰囲気漂うガラス鉢です。
本物を作る為には 熱意と誠実さと見識が必要。
陶磁器やガラスの器の世界でも 同じ様な事が言えると思っています。
営業日等 HPご覧ください。
http://bb-izumi.art.coocan.jp/
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